美術史ナナメ読み

ネオダダイスムは、1950年代後半から60年代にかけてアメリカで 起こった美術ムーブメントである。 ジャスパー・ジョーンズやロバート・ラウシェンバーグが代表的な アーティストであり、美術評論家ハロルド・ローゼンバーグが 名付け親だった。 ダダイスムと…

ネオダダイスムについて書こうと思ったが、その前に少しだけ 寄り道をしておきたい。 それは、フランク・ステラのシェイプド・キャンバスである。 第二次世界大戦を通して、世界全体の政治的・経済的中心は ヨーロッパからアメリカに移り、それに平行して美…

ヨーロッパの前衛芸術家たちを受け入れることで、アメリカは 現代美術の世界に大きく歩みだした。 彼らに影響を受けた若い芸術家たちが、アメリカ独自の文化を 育み始めたのである。 一方、アメリカ自身の自助努力もあった。 1929年の世界大恐慌によって、街…

ヴァルター・ベンヤミンは、パリがフランスの首都であるだけで なく、19世紀という時代の首都だったと指摘した。 その例にならうならば、20世紀の首都はニューヨークだったと 言えるのではないだろうか。 2回の世界大戦をはさんでアメリカの国力は圧倒的なも…

デ・スティルは、オランダに生まれた美術運動だった。 中心になったのはテオ・ファン・ドゥースブルクであり、画家にして 建築家、評論家でもあるという大変活動的な人物だった。 デ・スティルの結成は1917年であり、バウハウスの開設に先駆ける こと2年。 …

デザインの歴史をひもとくと、「バウハウス」という名前にほぼ必ず 行き当たる。 ヴァルター・グロピウスが初代校長となり、ヨハネス・イッテンや ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーという綺羅星のごとき アーティストが教鞭を取った美術学校であ…

シュルレアリスムは、数ある前衛の中で最も皮肉な顛末をたどった 運動と言えるかも知れない。 その眼目は、人間のさかしらな知(傲慢・不遜な理性主義)を笑う ことにあったが、最終的にそのエッセンスは、広告の一技法として 消費経済の側にあっさりと回収…

ことさら周期性を持たせずとも、ボチボチ書いていればそれなりに 溜まっていくだろうと思っていた『美術史ナナメ読み』。 が、気がつけば、前回書いたのは何と12月16日だった。 年末年始に浮かれていた時間が、スッポリ抜け落ちた感じである。 ただし、取り…

未来派はファシストと結びついた。 一方、表現主義者や構成主義者はナチスと反目した。 前衛芸術と全体主義の関係は、一筋縄ではいかない。 ついでに言うと、戦争との関係も。 前衛芸術家は、社会的に平和主義者である場合にさえ、 さらに言えば対人的に温厚…

イタリアでは前衛芸術と全体主義が結びついたが、ドイツではそれらは 相容れなかった。 未来派とファシスト党は手を握ったが、表現主義や抽象主義とナチスは 敵対したのである。 そのあたり、国民性も出ていて興味深い。 さて、ヒトラーが画家を志していたの…

未来派は、何だか困った運動だった。 良くも悪くも若さにあふれ、喜劇的であると同時に悲劇的だった。 先に印象派をベンチャー企業にたとえたが、未来派はさらにそれを 進めた感じである。舞台はイタリア。 未来派は、歴史上初めて自分たちの主義を宣言した…

前回は、印象派(内向重視)に対して表現主義(外向重視)が生まれた 話を書いた。 今回はキュビスムについて書いてみたい。 よく知らないことに当たる時、われわれは一元的な情報を良しとせず、 複数の情報をつきあわせようとする。 それを視覚的に行ったの…

先週からの続きで、印象派に対して表現主義が出てきた話を 書いてみたい。 そもそも近代以降の美術がわかりにくい理由は、新しい美学が 先行するものの否定として立ちあらわれることにある(と思う)。 要するに「何をそんなに怒っているの?」と。 その「何…

印象派は人気の高い美術運動である。 画家たちは、それまでの暗く重苦しい宗教絵画の世界から抜け出し、 陽光にきらめく風景や楽しげに集う人たちを描いた。 中でもモネは、経済的にも大成功をおさめ、その晩年を満ち足りた ものにした。 ただし、印象派の全…