デザインの歴史をひもとくと、「バウハウス」という名前にほぼ必ず
行き当たる。
ヴァルター・グロピウスが初代校長となり、ヨハネス・イッテンや
ワシリー・カンディンスキーパウル・クレーという綺羅星のごとき
アーティストが教鞭を取った美術学校である。
しかし、その伝説的な学校の活動期間は、1919年から1933年までの
14年間と、けして長くはなかった。
前衛芸術を危険視するナチス・ドイツによって、閉鎖されてしまう
からである。
にもかかわらず(というか、そのはかなさ故に)バウハウスは自由と
創造のシンボルとして、歴史の中で独特の魅力を放つことになる。
バウハウスの特質は、やや乱暴に言えば「工業製品の美学」だった。
イギリスで始まった産業革命は、次いでフランスに飛び火したが、
それらの国では工業製品と美しさは結びつかなかった。
むしろ、工業製品の素っ気無さは、芸術的な職人技の否定として位置
づけられたのである。
結果、生まれたのが手技重視のアーツ・アンド・クラフト運動であり、
アール・ヌーヴォーだった。
一方、ドイツにおいては、工業製品の中に秩序が見い出され、そこに
美学が確立された。
何であれ、オリジナルの強さは別格である。
ただし、バウハウスの船出はけして洋々たるものではなかった。
第一次世界大戦(1914〜18年)後のドイツは、混迷と貧窮を極めて
おり、とても美術教育どころではなかった。
実際、開校当初のバウハウスでは何かを作ろうにも材料がなく、
教師と生徒は延々と議論に時間を費やしたそうである。
そして、それが抽象的で理論的な校風を作ることになった、と。
物質とHowtoがあふれる現代。
その逸話は、単なる逆説以上の重みをもって響いてくる。