ヨーロッパの前衛芸術家たちを受け入れることで、アメリカは
現代美術の世界に大きく歩みだした。
彼らに影響を受けた若い芸術家たちが、アメリカ独自の文化を
育み始めたのである。
一方、アメリカ自身の自助努力もあった。
1929年の世界大恐慌によって、街には失業者があふれる。
当然、絵描きや作家の仕事などあろうはずもなかったのだが、
政府はそこにも雇用を作り出したのである。
ニューディール政策の一環として行われた、連邦美術計画。
絵描きには巨大壁画が、作家には主要都市のガイドブックが
公共事業として発注された。
「今般の大不況でも、アメリカは同じような政策を取るかも
 知れない」と、指摘する人もいる。
いずれにせよ、そうした流れの中から、アメリカ独自の美術
運動が生まれていった。
抽象表現主義
読んで字のごとく、抽象的で表現主義的な絵画運動だった。
ドイツを中心とした表現主義は、人物や風景などを荒々しく
描くものだったが、抽象表現主義には描かれる対象が無い。
筆致それ自体の中に、表現意欲が込められるのである。
亡命したベテラン芸術家からはシュルレアリスムの理論を、
壁画運動からは巨大なキャンバスという空間を、それぞれに
受け継いだ。
ジャクスン・ポロックは、アメリカで最初にスターになった
現代美術作家と言える。
以降、クリフォード・スティルやバーネット・ニューマンと
いった作家たちが、抽象表現主義を豊穣なものにしていくが、
わたしは彼らの絵を見ると、つい「工事現場」をイメージ
してしまう。
その空間は、アメリカという国がまだ若々しく、建設途上の
魅力を放っていたこととパラレルに存在したように思える
のである。