前回は、印象派(内向重視)に対して表現主義(外向重視)が生まれた
話を書いた。
今回はキュビスムについて書いてみたい。
よく知らないことに当たる時、われわれは一元的な情報を良しとせず、
複数の情報をつきあわせようとする。
それを視覚的に行ったのがキュビスムである。
少し乱暴に言えば、前から見た顔と横から見た顔を組み合わせること。
会社の採用などで、面接(正面の顔)とプロフィール(もともとは横顔
の意)をあわせて決めるなんてのも、これに通じる。
では、何に対して「反発する」と、そうした多視点を求める美術運動が
生まれてくるのか?
専門的な問題としては、印象派と同じく線遠近法に対してだった。
そして、キュビスムの場合には、線遠近法の持つ権力装置としての
機能に対する反発が強かった。
そのあたりの事情は、劇場空間を例に取るとわかりやすい。
近代的な劇場(あるいは映画館)の額縁舞台は、観客席の中心に近い
ほど、芝居を正面から存分に見ることができる。
そして、そこはもっぱら王や貴族、はたまた新興富豪の席だった。
一方、劇場空間の末席は、そのまま階級制度の末席につながっていた。
キュビスムは、その両方の席から見える光景を組み合わせ、トータルに
「世界」という芝居を見せようとしたのである。
ただし、その理屈にはちょっと無理があった。
たとえば末席側だけに棹指せば、プロレタリア芸術としてもっとずっと
わかりやすかったはずである。
が、キュビスムが見せたのは(実際には社会的な意味合いはほとんど
なかったが)王と労働者の瞬時の和解=共存だった。
良くも悪くも、それが表わしているのはピカソの天真爛漫さである。