未来派は、何だか困った運動だった。
良くも悪くも若さにあふれ、喜劇的であると同時に悲劇的だった。
先に印象派ベンチャー企業にたとえたが、未来派はさらにそれを
進めた感じである。舞台はイタリア。
未来派は、歴史上初めて自分たちの主義を宣言した前衛運動だった。
未来派宣言!
しかし、その攻撃的な主張とは裏腹に、当初の未来派作品はさほど
刺激的ではなかったらしい。「拍子抜けした」と酷評される。
そこであわてて彼らはパリに飛び、新進気鋭のピカソを訪問。
芽吹いたばかりのキュビスムを一気に吸収した。
このあたり、ビル・ゲイツがありもしないOSでIBMとかけひきした
伝説や、スティーブン・ジョブス率いるAppleメンバーがパロアルト
研究所から最新技術をかすめとった逸話などと酷似する。
ともあれ、未来派が素敵だったのは、キュビスムに自分たちなりの
解釈を加えたことだった。
視点のズレには、必ず時間のズレがともなう。
彼らはそこに着目し、さらにそれを加速させた。
文字通り、スピードの美学を打ち立てたのである。
そしてそれは、大いに受けた。
産業革命以来の新興企業家たちは自分たちの芸術を求めていたが、
未来派が提示した「速さの礼賛」こそ正に彼らの欲した美学だった。
ビジネスのエッセンスは、スピードに他ならない。
やがて未来派はヨーロッパ中を席巻し、大成功をおさめる。
ただ、彼らの主張は禁断の大規模ビジネス「戦争」とも、何ら矛盾
するところがなかった。
その主張は易々とファシスト党に結びつき、歴史に断罪されていく。
素朴な前衛の時代だった。