先週からの続きで、印象派に対して表現主義が出てきた話を
書いてみたい。
そもそも近代以降の美術がわかりにくい理由は、新しい美学が
先行するものの否定として立ちあらわれることにある(と思う)。
要するに「何をそんなに怒っているの?」と。
その「何」がわかれば、(以降の展開に納得できるかどうかは
別にして)ひとまず怒っていることへの理解は進む。
たとえば印象派にしても、先行する古典絵画があまりに製図的
(= 遠近法的)に作品を制作し、感覚を無視するものだから、
「もっと感じろよ」「人ってそれぞれに感じ方が違うだろ」と
主張したわけである。
そうして個性神話が萌芽した。
一方、印象派に対して、今度は表現主義者たちが反発をした。
日本語の場合には対比が薄れるが、Impressionism に対して
Expressionism が生まれたと考えるとわかりやすい。
「入れる」に対して「出す」のである。
Impression は外側の世界を自分の中に入れる作業。
だから「感じる」ことに重きを置いた。が、身体に何かをため
こめば当然お腹は一杯になるわけで、すると今度は「出す」
ことへの欲求が生まれてくる。それが Expression。
語源はレモンの汁をぎゅ〜っと搾る動作のことだったとか。
案外、先週の浣腸話はきちんと布石になっていたりする。
つまるところ、表現主義は「自分の中にある何か」を搾り出す
ことを良しとしたのである。
「生みの苦しみ」をともなって、個性神話がさらに成長する。
それはそうと、相当に話をはしょってもポップアートへの道は
遠い感じである。