印象派は人気の高い美術運動である。
画家たちは、それまでの暗く重苦しい宗教絵画の世界から抜け出し、
陽光にきらめく風景や楽しげに集う人たちを描いた。
中でもモネは、経済的にも大成功をおさめ、その晩年を満ち足りた
ものにした。
ただし、印象派の全員が幸せだったわけではない。
まぁ、当たり前か…。
特に後期印象派の画家たちは不遇にあえいだ。
ゴッホはもっとも極端な例である。
「死んでから評価される(= あまりに時代より進んでいたために
認められなかった)」という美術の神話は、主にこの頃作られた。
不遇と名誉が交換される。
そんなこんなで、印象派について考え始めると、わたしはついつい
ベンチャー企業の盛衰を思い浮かべてしまうのである。
技術革新をいち早く取り入れ、自分の感性を世に問う。
当たれば大きいが、外せば悲惨。
現代で言えば、パソコンとネットがそうした技術に当たる。
一方、印象派における技術革新は、チューブ入り絵具だった。
その発売によって画家は顔料をこねる作業から開放され、ついでに
絵具を持って屋外に飛び出る自由も手に入れた。
新しい技術が、画家という静的なはずの存在を一気に活動的にした。
というか、「画家になりたい」という欲望が、消費によって叶え
られるようになったわけである。
そのことの意味は大きい。
われわれは、ともすれば「何を買うか」によって自己を規定しよう
とする。そして買い物は、それ自体として楽しい。
美術が楽しいものに変容していく歴史とは、それがショッピング
的になっていく歴史とも言える。