ネオダダイスムについて書こうと思ったが、その前に少しだけ
寄り道をしておきたい。
それは、フランク・ステラシェイプド・キャンバスである。
第二次世界大戦を通して、世界全体の政治的・経済的中心は
ヨーロッパからアメリカに移り、それに平行して美術の中心も
パリからニューヨークへと移動した。
それはまた、組織の重視から個人の重視へと、世界全体の価値
軸が大きく振られていくきっかけでもあった。
ナチスドイツに代表される全体主義を、アメリカの自由主義
打倒したのだ、と。
そうした神話が、戦後のハリウッド映画を中心につむがれ、
アメリカ的な個人主義が世界中に蔓延していった。
それは、全体を守るために部分を抑圧していた力から、部分の
偏重によって全体を破壊する際限のない欲望へ、人々の興味を
切り替えさせることでもあった。
ステラのシェイプド・キャンバスは、そのバランスがちょうど
釣り合ったところ、両者がすれ違う地点に表われた、幸福な
和解だった。
ルネサンス以降の絵画は、四角い空間を当たり前の前提として
部分の役割を決定した。
一方、オブジェやインスタレーションは、四角い二次元空間を
大きく逸脱し、それを必要とはしなくなった。
前者では全体が強権を振るい、後者では部分が枠組を無視する。
それらに対し、フランク・ステラのシェイプド・キャンバスは
部分の形が全体(キャンバスの形)を決定し、全体の形が
部分のポテンシャルを生かす、美しい調和だった。
ただし、すべてのシステムがそうであるように、調和はやがて
崩れていく。
実際、ステラ自身の創作活動も、社会全体がそうなっていった
ように、部分の主張を肥大させる方向へと向かった。
「あの頃は良かったね」という言葉を、ステラのシェイプド・
キャンバスを見ると、わたしは思い浮かべてしまうのである。