デ・スティルは、オランダに生まれた美術運動だった。
中心になったのはテオ・ファン・ドゥースブルクであり、画家にして
建築家、評論家でもあるという大変活動的な人物だった。
デ・スティルの結成は1917年であり、バウハウスの開設に先駆ける
こと2年。
美学的にも、バウハウスに対して大きく先行していた。
むしろ、ドゥースブルクの働きかけがなければ、バウハウスの栄光は
なかったとも言われる。
設立当初のバウハウスには、ドイツ的徒弟制度を骨格とする手工芸的
指向や前衛芸術の表現主義的傾向も、色濃かったからである。
それに対してデ・スティルは、水平・垂直、赤・黄・青・白・黒を
基調とする、クールな工業的美学を早くから確立していた。
つまり、バウハウスのオリジナリティは、ドイツ独特の文化を
オランダ発祥の工業美学によって加速させた結果だったのである。
ただし、デ・スティルの美学を牽引したのは、実際にはドゥース
ブルクその人ではなかった。
その理論的中核をになったのは、画家ピエト・モンドリアン
彼は、1911年から14年にかけて事物の抽象化を体系化しており、
ドゥースブルクは彼の美学をより実践的に展開したのだと言える。
そして、おもしろいのは、モンドリアンの抽象化が工業的なものの
美学を求めた成果ではなかったということ。
それはむしろ、宗教的な真理を目指した結果だった。
モンドリアンは、神智学と呼ばれる神秘主義に入れ込んでいた。
彼のアトリエには、当該協会の設立者であるブラヴァツキー夫人の
肖像写真が掛けられていたという。
モンドリアンにとって事物の抽象化は、現実世界の中に神の摂理
見い出すことだった。
宗教から遠く離れたかに見える20世紀モダニズムは、実は根っこの
ところで神につながっていたのである。
合理と信仰は、紙(神)一重。
と、駄洒落てどうする>俺