イタリアでは前衛芸術と全体主義が結びついたが、ドイツではそれらは
相容れなかった。
未来派ファシスト党は手を握ったが、表現主義や抽象主義とナチス
敵対したのである。
そのあたり、国民性も出ていて興味深い。
さて、ヒトラーが画家を志していたのは、けっこう知られている話では
ないかと思う。受験には失敗したが、合格していればエゴン・シーレ
同級生になっていた。
一方、こちらはあまり知られていない話だと思うが、晩年のヒトラー
人類史上もっとも美術品収集にお金を使ったひとりである。
若い日の夢をお金で買った感もある。ただ、残念なことに彼の審美眼は
受験生レベルで止まっていた。
陳腐な古典絵画を好み、新しい芸術運動を理解することはなかった。
しかし、それ故に国民感情に通じたとも言える。
ベンヤミンはパリを19世紀という時代の首都だと指摘したが、20世紀
初頭においても依然として最先端の芸術はフランスが牽引していた。
結果、ドイツの美術館はフランスからたくさんの作品を買っていたわけ
だが、これが気にいらない人には気にいらない。
「自国の人間が苦しんでいるのに、どうして他の国にたくさんのお金を
 はらって、訳のわからないガラクタを買わなければならないのか?」
と。
そのあたり、ヒトラーと国民の感性・感情はストレートに同期したので
ある。結果、ドイツ国内の前衛芸術をさらしものにする「頽廃芸術展」
なる展覧会が企画され、これが大いにうけた。
ユダヤ人の迫害やバウハウスへの攻撃があるため、ナチスには何でも
かんでも弾圧していたイメージがあるが、全体主義というのはそれほど
単純ではない。
前段として、圧倒的な国民の支持があるのだ。
そのエネルギーは「わからないものへの恐怖心」と言えるだろう。
身体が硬くなってしまうことと、国家を固めることは似ている。