遠くにあって思うもの

バナー広告をクリックしたら、九州国立博物館が変なグッズを
売っていて、ちょっと笑った。
国立博物館らしからぬ」と思ったり、「いや、最近の美術館・
博物館をまじめに運営しようとすると、こうなるのかな?」と
思ったり。
とりたてて買おうとは思わなかったが、好きな人はいるんじゃ
ないだろうか。
ホームページ自体も丁寧に作ってあり、とりあえず収蔵作品が
ぐるっと見られたりする。
フリーメイソンケース』なんてのも、クスッとなる感じ。
それはそうと、もうしばらく美術館に足を運んでいない。
というか、わたしは普段あまり美術館には出かけないのである。
行くのは、もっぱら旅行をした時。
作品は貸し出されて巡回をするが、美術館という建物自体は
場所から離れることはない。
つまり、自分にとってそこを訪れることは「旅」的なのである。
あるいは、だからそこを「墓」的に感じるのかも知れない。
そういう意味では、作品も「そこに行かなければ見られない」
という方がシックリくる。
たとえば、フィラデルフィア美術館のデュシャンの遺作とか。
作品の方から近づいてきてくれるのは嬉しいと言えば嬉しい
のだが、自分の中ではちょっとワクワク度が下がってしまう。
「いつか行ってみたいなぁ」につながる方が良いのである。
そういうのが「憧れ」というものではないだろうか、と。
「パトラッシュ… ぼくはもう疲れたよ… なんだかとっても
眠いんだ…」。