切り抜きと消費

本の雑誌には切り抜き写真が多い。
人物や洋服の写真から背景を取りのぞいて配置する手法だが、
外国の雑誌ではそれほどまでは使われない。面倒くさいしね。
日本独特のヴィジュアル文化と言える。
切り抜き写真という島のまわりを文字がたゆたう風情は、島国
日本の在り方そのものに似ている。
それは、「百人一首以来の伝統的美観ではないか」ということを
鈴木誠一郎さんが『ページ空間の周辺』で指摘されていた。
なるほど。
一方、実はこの話。昨日の続きでもある。
「周囲から切り離されたものが死んだ状態」であるとするならば、
雑誌のキリヌキ写真にも死物フェティシズムが香る。
というか、そもそもその言葉を使われた高山さんの評論からし
ファッションと死の関係を扱ったものだった。
喪服ほど微細な違いを競うファッションはない、と。
してみれば、切り抜き写真はネクロフィリックな力で消費を喚起
する手法と言えるのかも知れない。
とはいえ、死に魅せられる感性は、それ自体としてはむしろ健全
とも言える。
人間は「生きたい」と思うのと同じくらい「死にたい」と思って
いる動物だが、一度死んだら二度と死ねないのでそれを先送りに
しているのだとか。
芸術が喚起する忘我は、長い間擬似的な臨死体験だった。
それが「生の謳歌」や「生きることの応援歌」に変わったのは、
印象派あたりからだと思う。ポップアートがとどめの一撃。
といった話は、また明晩。