『勝者の代償』

昨日、一昨日と勝負について書いたが、種明かしというか事情を
言えば、これはひとえに掲題の書籍に影響されたから。
少し時間がかかったが、本日読了した。
さて、われわれは現在、インターネット・ショッピングに象徴
されるニューエコノミーと呼ばれる時代にいる。
オールドエコノミー(とは、20世紀的な大量生産型の経済)が
ヴァリエーションの少ない選択肢で成り立っていたのに対し、
ニューエコノミーの特徴は、圧倒的な自由度の高さである。
サービスは細分化し、膨大な選択肢の中から、安価で品質の良い
ものを手に入れられるようになった。
が、そうした経済構造こそ、われわれの収入を不安定にし、
ストレスを倍増させている原因でもある、と著者は指摘する。
曰く
「買い手としての私たちにとって、より良いサービスを求める
選択が簡単になればなるほど、売り手としての私たちは消費者を
つなぎとめ、顧客を維持し、機会をとらえ、契約を取るために、
ますます激しく闘わなければならなくなる。この結果、私たちの
生活はますます狂乱状態となる。」
現在、平均的なアメリカ人はヨーロッパ人よりも年間350時間
多く働き、それは日本人をも凌駕しているという。
低所得者は生活を維持するために長時間働かなければならないが、
高所得者もまた勝ち続けるために長時間働かなければならない。
いや、勝っている者が不安にかられてさらに闘い続けることこそ、
ニューエコノミーの特徴であるらしい。
結果、「稼げる時に稼いでおく(勝てる時に勝っておく)」
というメンタリティが生まれ、ウォール街に(税金からなおも
巨額のボーナスを得ようとする)恥知らずが育つことになる。
一方、プロスポーツ選手には、そうした経済戦争とは一線を画す
大らかさが感じられるが、構造的には同じである。
最高峰に立つ選手たちは、持てる才能を極限まで高め、闘いに
勝利することで富と名声を得る。
が、その活動の全体は容易に経済戦争にも重ねられられるため、
恥知らずたち(や、その立場を目指す者たち)の行動を美化する
働きもしてしまう。
というか、行動モデルにすらなるのだ。
アスリートの言動が、ビジネス雑誌で取り上げられる所以。
スポーツへの批判はとかく煙たがられるものだが、スポーツは
魅力的であるからこそ危険なのだと思う。