勝敗の彼岸-2

以前、鈴木大地がテレビで金メダルを取った時の話をしていた。
タイム的には到底トップに立てる可能性のなかった鈴木は、
バサロの距離を伸ばすことによって周囲を混乱させ、金メダルを
獲得した。
つまり、あれは戦略的な勝利だったのだ、と。
だが、それって嬉しいことだろうか?
鈴木個人が金メダルを手にして喜んでも、その大会全体が
「あぁ〜、あの年って凡庸なタイムだったんだよね」と言われ、
忘れ去られていくのは悲しいことではないだろうか?
「俺はベストで戦ったけど、世界は大きかった」と噛み締める。
その方がずっと清々しい。
自分を高めるのではなく、相手を貶めることで勝とうとする
思考は、いかにも戦争的であり、総体を不幸にしてしまう。
内田樹さんは、それこそ、偏差値評価が全体のポテンシャルを
下げていく理由だと、喝破されている。
自分が賢くならなくても、隣の人が馬鹿だったら受験戦争には
勝てるわけで、そうした場合人間はよりたやすい方を選ぶ、と。
つまり、互いに足を引っぱりあうわけで、そうなれば当然全体の
レベルは下がっていく。
互いに高めあう気概は無くなり、成熟できない子供(→大人)が
増えるわけである。
いずれにせよ、全体の発展や幸福を願うことなく、恥も外聞
かなぐり捨てて「勝ち」にこだわるのは、子供の所行である。
アンリのハンドなども、そうした例だと思う。
今回のワールドカップでフランスが優勝しても(いや、優勝
すればなおさら)そのことは指摘され続けるだろう。
良識あるフランス人の恥ずかしさを思うと、心が痛む。
スポーツが全面的に間違っているとも思わないが、悪しき
傾向を育みやすい行いだという気がする次第。
おもしろいことは、勝ち負けとは別の場所にあるように思う。
ただ、勝とうとしなければ見えてこない地平もあるんだよなぁ。