勝敗の彼岸

勝ち負けに興味が無くなってきている。
というか、勝ち負けを設定することに興味が無くなって
きている。
ならば、カードゲームはどうなのか?
う〜む、そう言われれば、そうである。
もう少し細かく定義すべきだろう。
生死をかけるような勝負ごとには、興味が無くなって
きている、と。
うむ。
それなら言わんとしていることの意味に近い。
何故なら、そういう勝負に勝っても、社会的な意味での
生存可能性は必ずしも高められるわけではないから。
限定的なフィールドでの勝利による名誉や収入は、
必ずしも人生全体の幸福には直結しない。
場合によっては、生きることのバランスを崩し、破滅に
近づくことすらある。
昨今の例で言えば、タイガー・ウッズのスキャンダルも
それに当たるだろう。
何より、極度の緊張感を強いる勝負ごとは、それ自体の
中に周囲への配慮を失わせる盲目性を萌芽させてしまう。
昔から、それが苦手なのである。
だから、スポーツは見ていてあまり楽しくない。
本当は、勝ち負けなんて決めなくても、人間の共同体は
維持しうるのではないだろうか?
いや、むしろ無い方が幸せなのではないだろうか?
とすれば、スポーツという娯楽の総体が生み出している
ものは、けっこうまずいものなのかも知れない。
というわけで、この話は明日に続く。