憂鬱と糊

先日、仲山くんが『リベリオン』と一緒に貸してくれた
涼宮ハルヒの憂鬱』を見始めた。
昨晩3巻、本日2巻といった感じで、ゆっくり楽しませて
もらっている。
出てくる女の子たち3人も可愛いが、そもそもの設定、
各話のシナリオとも大変よくできている。
なるほど、人気があるわけだ。
ちなみに、映像的なお気に入りは、『ハレ晴れユカイ
に出てくる朝比奈みくるのまわす指。
あの動きには、ちょっとクラッとくる。
さて、カードというものに興味が出て以来、いろいろな
結ぼれがほどけてきている。
「結ぼれ」とは他ならぬ「憂鬱」のことだが、これは
何かへのこだわりから起きる。
つまり、こだわりはエネルギーであると同時に、悩みの
種に他ならない。
畢竟、「糊」というものが、そのあたりの問題を考えて
いく上で格好のメタファーになるのではないかと思い
始めている。
古来、どの地も、それぞれの糊を持ってきた。
糊になるのはネバネバしていて、乾くと固くなるもの。
つまり、時間を織り込んで動かなくする(とは、殺して
しまうことに通じる)物質である。
現在、わたしはカードをそうした文化的結晶作用の解体
としてイメージしている。
それは、もしかしたら、モダニズムが持つ時間の直線性
との戦いなのかも知れない。