雨と現代

雨がよく降る。
この雨は低気圧の影響らしいが、大型の台風も近づいている
らしいし…。
「水びたし」という感じである。
ところで、子供の時には「雨が降っているから外で遊べない」
ことを残念に思ったものだった。
体育が無くなる、あるいは「仕方なく体育館で」というのも、
何だかおもしろくなかった。
が、今ではそうしたことは関係無くなっている。
いや、むしろ逆転すらしているのかも知れない。
というのも、ご存知のように(?)わたしはもはや手ぶらを
良しとする人間になっているので、通勤においても持つ荷物は
せいぜい一つ。
そうなってくると、晴れた日に持つことのある本は、傘を優先
すべき雨の日には当然置かれてしまう。
つまり、晴れた日の方が本を読むわけである。
晴耕雨読」の反対… ってこともないか。
雨の日に耕すわけではないのだから。
一方、雨が降っている時に、車を運転するのが好きである。
普通なら濡れてしまうところ、そうではないことに無性に
嬉しくなってしまう次第。
が、総じて便利さに病んでいる気がしてきた。
もっと素直に、晴耕雨読の生活を送るべきなのかも知れない。
書を捨てず、村に暮らそう?
要するに、寺山修司ではなく、宮沢賢治ということか。
それこそまるで「雨ニモマケズ」ではないか。
なるほど、現代っていうのは雨を必要以上に嫌うことなのかも。