再生の夢

ネット上で辛辣な言葉が飛び交うのが、匿名性を保証
されているからだとすれば、マスコミが2ch的になって
いくのは、ちょうどコインの裏側のような気がする。
個人名を出さない記者が恣意的な記事を流す昨今の
ニュースは、もはやネットの掲示板と変わらない
印象を受ける。
もしかしたら、集団としてニュースを発信するという
こと自体が、無理になっているのかも知れない。
現象を受け止める個体を明示し、その個体に対する
信用が、情報の健全さを担保する。
そういう時代になっているのではないだろか。
たとえば、ネット書店の書評のように。
つまり、ネットによって個人が力を得たというよりも、
集団が力を失ったというべきか。
もはや、取材をする人、記事を書く人、それを発信
する人が、共通の理念で動いているとは思えない。
そして、誰だか分からない人が、誰だか分からない
人に取材した(とある官僚は言った的な)ニュースは
どんどんリアリティを失っていると思う。
ニュースソースを明かすことはできないとして、
せめてニュースの発信者が誰なのかを明らかにする。
それが、マスコミが再生するための一つの契機なの
ではないだろうか。
テレビで言えば、関係した人の名前をエンドロールで
流すとか。