今日こそは

昨日は、「政治」の話を書くつもりでいながら、結局「経済」の
話を書いてしまい、そのあたりの音痴っぷりを披瀝してしまった。
あぁ〜。
というわけで、気を取り直して政治の話を書いてみたい。
が、政党に関する意見を並びたてるつもりはない。
もう少しテクニカルな問題について考えてみたいのである。
思うに、政治を行いにくい時代ではないか、と。
政治とは、端的に言えば「調整」のことである。相反する利害を
主張する集団(あるいは個人)の間に入って、双方の取り分・
言い分を調整する働き。
もっと言えば、それによって、振りかざした拳を双方に降ろして
もらう技術である。
当然、どちらに対してもいい顔(要するに笑顔)を見せることに
なる。
しかし、昨今、そうした態度は許されない。
あっちに見せたいい顔はこっちに暴露されるし、こっちで言った
甘言は筒抜けになる。
結果、「一体、お前はどっちの味方なのだ!?」という話になる
わけだが、白か黒かを求めるのは裁判であって、政治ではない。
双方の利益を五分五分あるいは四分六分に落とすのが政治であり、
それも同じものの二分である必要はない。
名誉と実益とか、意地と快楽とか、愛情と謝罪とか。
はかりにかけて釣り合うものなら、何でもいいわけである。
それによって、双方の気持ちが納められるならば。
ただし、大きな問題は「あっちにばかりいい顔をする」奴が出て
くることである。
力や金になびく者は、弱き隣人を仲間と思わず、自らの母体や
その連鎖を易々と売り飛ばしていく。
そうした人間が出てきてしまう悲しさ、彼らの欲望を正すことの
難しさは筆舌に尽くせぬが、これまた政治とは違う問題である。
そうして諍いの解決されぬまま、つまりは政治が行われぬまま、
われわれの中には猜疑心ばかりが育ち、結果として政治の実践は
ますます難しくなっていく。
そんな風に感じる昨今なのである。