裸の王様としてのテレビ

テレビを見なくなって久しい。
というか、最近では、帰宅した時にテレビがついていても、
家人が席を立ったすきに消してしまうことが多い。
うるさく感じて仕方がないのである。
何故、それほどまでにテレビが嫌になってしまったのか?
あらためて考えてみて、それは「大」きいことがリアルでは
なくなったからだろう、と思った。
とかくテレビは(なかんずくバラエティ番組は)大笑い、
大泣き、大感動を求めるが、画面の向こうが大げさになれば
なるほど、こちら側は白けていく。
何かを食べた時の不自然なほどに大きなリアクションを見せ
られるたびに、
「えぇ〜っ、普段、そんな風には食べないでしょ…」
と思ってしまう。
で、プチッ。
ちょっとしたきっかけで大騒ぎする雛壇芸人を見て、プチッ。
あるいは、延々と宣伝を見せられるので、プチッ。
以前は少々おもしろくない番組や宣伝でも、ダラダラ見て
しまっていたが、最近は迷わず消してしまう。
つまり、「おもしろくない」から「見たくない」に反応が
変わったのである。
「繊細な綾をじっくり見せて欲しい」とまでは望まないし、
テレビというメディアはそうした見せ方が苦手なはずだが、
せめて不快なほどの大げささを何とかしてくれれば、と思う。
昔はよく一緒に遊んでいたが、今では自慢話と横柄さだけが
目立って、まわりから人がいなくなっている友人。
今のテレビからは、そんな印象を受ける。