モーツァルトという変化

帰宅すると、長男の部屋からモーツァルトが流れていた。
彼が聞くものと言ったら、このところ『家庭教師ヒットマン
REBORN!』のサントラばかりだったはずなのに。
妻曰く
「昨日、図書館で急にモーツァルトのCDを借りたがって…。
 たぶん誰かに吹き込まれたんでしょう」
とのこと。
しかし、まぁ、良いことである。
モーツァルトだから、クラシックだからということではなく、
誰かに影響されて、知らない世界に触れてみるということが
大変良いことに思えるのである。
それが友人であれ、本で知った誰かであれ、その人に対する
興味やシンパシーがなければ、そうした動きは生まれない。
その興味やシンパシーが良い。
長男はあまりそうしたことのない方だった。
中学校という新しい世界が、彼にそうした変化をもたらして
くれているのだとすれば、親としては大変嬉しいことである。