ガンダムという縁

いろいろなイメージの整理がつきつつある。
まだ何も終わったわけではなく、もっと言えば始まったわけですら
ないのだが、ある種の高揚感に包まれている。
きっかけになったのは(ここでも二三度触れたことのある)昨年
10月の富野由悠季の記事だった。
今日、ちょっと思うところあって、これを読み返してみた。
で、やっぱりイイ感じなのである。
自分にとって特にコロンブスの卵的だったのは「11、12歳ぐらい
までにあなたが好きだったものにこだわれ」という部分。
そうした回想を意識的にしてみたことはなかった。
が、そうしてみることで、いろんなことに筋が通ったのである。
一言で言うと、それは「粋」ってことだった。
「粋」はそもそも江戸っ子の価値観だが、住む場所を転々とした
わたしには、それに近い感覚が育まれていたらしい。
九鬼周造によれば、「意気地と媚態と諦め」である。
要するに、何かに執着する感覚を「野暮」と感じてしまうのだ。
本や美術館を好みながらも、そこに否応なく附随する「物質感」
「不動感」が、最終的に腑に落ちてくれなかったのは、畢竟
そのあたりに矛盾があったからなのだろう。
いや、今でもそれらが嫌いになったわけではないのだが、その
死への近さがあらためて実感でき、自分はもっと「生きている」
ものの方が好きだと分かった次第。
親鸞への憧憬もそれに重なっていた。
「カード」という「綴じられていない」紙片への興味は、だから
けっこう深いところから来ているのである。
※これは、山崎曜さんに「綴じる」ことの魅力をきちんと教えて
 いただいた、逆説的な結果とも言える
そんなこんなで、今は人生の興味に整理がつきつつあり、それが
大変に気持ち良い。
機動戦士ガンダム』を見ていたのは14歳くらいだから、今から
ざっと30年も前の話。
それを作っていた監督の話が、福音になろうとは。
『めぐりあい宇宙』である。