この先、カードというものをライフワーク的な研究対象に
したいと思ったきっかけについて書いてみたい。
もともとカード状のものには強くひかれていたのだが、
一方で、その快感はあまりにも所有欲に骨がらみの気が
して、のめり込めなかったのである。
その感覚は『モダンの五つの仮面』にも書いたのだが、
おそらく「仮面ライダー」カードの影響なのだと思う。
当該カードの収集は、資本にものを言わせる、随分と
野暮な振る舞いに思えたものだった。子供ながらに。
あるいは、昨今のトレーディング・カードにしても同様。
カードは、世界を断片化し、所有するというメタファーを
まこと見事に体現する。
そんな認識が少しずれたのは、製版・活版という印刷
技術の違いを再認識した時だった。
製版というのは、印刷面全体に対して、一枚の版木を彫る
手法。浮世絵などがイメージしやすい。
一方、活版は一文字づつ彫られた文字を組み合わせて版を
作る方法である。
そして、活版の「活」は「生きている」ことを意味する。
一端役割のために組み合わされても、くくりをほどけば
文字は再び動き出す。
その動けることを持って、「生きている」と称する。
そう考えると、一枚一枚で動かせるカードが、俄然生きて
愛しいものに思えてきた。
確かにそれを所有の対象として、アルバムに閉じ込めれば、
カードは瞬時に死物フェティシズムの対象となる。
しかし、本来それは(トランプがそうであるように)全体
として世界を映し出し、それぞれが動きまわれることこそ
魅力なのである。
「おみくじ名刺」も、そんな考えの延長線に生まれてきた
のである。