どっちでもいい話

笠井潔と東浩記の往復書簡『動物化する世界の中で』を
読み始めた。
ちょっと真面目な本。
常々、東浩記の本を何か読まなければと思っていたのと
ポストモダンについてもう一度考え直しておきたいという
思いが重なって、この本を手にした。
書簡という形式を取っているためか、大変に読みやすい。
が、書評を読むと、この先議論は決裂していくらしい。
それもかなり悪い形で…。
ならば、しばし置いておこう。
あっさり。
わたしは人が言い争うのを見るのが好きではない。
世の中には有益な論争というものもあるのだろうが、
それはそう思う人同士でヒッソリやっていただけば良い。
いや、本当にゆずれないことならば、わたしとて戦うに
やぶさかではないが、そんな論点がそれ程たくさんある
とは思えないのである。
誤解を恐れずに言えば、大抵のことは「どっちでもいい」。
畢竟、論争とは「どっちでもいいわけがない」と主張する
人によって起こされる。
が、それこそどっちでもいい話である。
お互いの言い分のどこからどこまでが「どっちでもいい」
ことなのか見極められる人同士なら、言い争いは起きない。
わたしはそういう大人の住み分けに憧れる。
感情的な論争が起きるとすれば、どちらかが、あるいは
どちらもが子供なのだと思う。