判断基準は愛だね

ほぼ日刊イトイ新聞の本』を読んでいる。
「ほぼ日」にというよりも、糸井重里という人に興味が出てきたので、
ちょっと近づいてみている次第。
以前にも書いたが、わたしはあまり糸井重里が好きではなかった。
大して何かを知っていたわけではなく、印象レベルの話だが、流行を
追いかけている側の人だと思っていた。
いや、糸井重里自身が流行っていた時代というのもあったわけだし、
本人もその時には随分錯覚していたと書いてある。
あながち、的外れな印象ではなかったのだと思う。
ただ、どうも根っこのところでは、いろいろと葛藤をかかえた人でも
あったらしい。
飄々としたところがあるので、誤解を受けやすいのかな?
「おやっ?」と思ったのは、糸井重里吉本隆明に入れ込んでいる
ことを知った時だった。
吉本隆明だからというわけではなく、わたしは「誰かが何かを好き」
なことが、とても好きなのである。
たとえば野球にはほとんど興味がないが、水島新司が野球を好きで
あることをとてもいいと思う。
あの愛情の持ち方は素敵である。
何かを好きな人は、その対象に向かって謙虚であるし、それを大切に
しようとする。
つまるところ、「愛」のある人ってのは、そういう態度が取れる人
ってことなのかも知れない。
そして、まだちょっと警戒を解いたわけではないが、糸井重里という
人は、どうやら愛ある人のようだ。
ところで、本の方もなかなかおもしろい。
「売れなくてもいいものなら、企業はいくらでもつくることができる」
って指摘は冴えてるなぁ。