おみやげとしての言説

『ゼノサイド』下巻、読了。
そのまま続編の『エンダーの子どもたち』に流れ込んだ。
あぁ〜、楽しいなぁ〜。
もともとSFは好きだったが、きちんとはまったのは久しぶり。
で、ふと思った。
すべての物語りは、異世界のみやげ話なのかも知れない、と。
旅人が、巡ってきた国の風物を伝えるイメージである。
SFは架空の世界の話だから、このイメージに合致しやすい。
また、外国文学を日本語に翻訳するなんていうのも、おおむね
その構造を逸脱しないはずである。
一方、「じゃぁ、日本語で書かれた身近な話はどうなのだ?」
となるわけだが、それだって自分の生きている空間以外の話で
あれば、立派に異世界譚。
いや、究極的には、同じ現象を目撃した場合にさえ、他の人の
視点(考え)によって紡がれる言説は、パラレル・ワールド
(平行世界)の記録と言える。
そうしてみると、われわれのまわりにはたくさんのみやげ話が
散らばっているわけである。
なるほど。
おみやげというものが、意外に喜ばれなかったりするという
意味でも、このイメージは正しいのかも知れない。