記憶の回復

『ゼノサイド』の上巻を読み終わり、下巻に入ったところで
分かった。
わたしはこの物語りを上巻で投げ出してしまっていたのだ。
読んだ記憶が曖昧になっていたのも道理である。
上巻の終わり方は、登場人物の失敗によって話が展開する
いわゆる「イデオット・プロット」であり、わたしはこれが
大変苦手なのである。
今回もムッとしてしまったが、前回はそれほど入れ込んで
いなかったので、その時点でリタイアしたようだ。
一旦ひらめくと、新橋にある本屋で上巻を買ったことまで
思い出された。
ともあれ、それはそれで嬉しい経験でもある。
何かが「ない」と気づけるのは、とても楽しいことだから。
別の言い方をすれば、わたしがもっとも恐れるのは
「忘れたことを忘れること」である。
メタ忘却と言ってもいい。
今回などは、まさにそのケース。
何かが無くなっても、それを覚えている間は、本当の霧散
ではない。
大江健三郎の『日常生活の冒険』に
「死者を死せりと思うことなかれ。
 生者のあらん限り、死者は生きん」
という一節があった。
死者(の記憶)と共にあることが、わたしにとっては大切
なのだと思う。