歴史と語源

最近のマイブームはすっかり海野宏さんで、今は『二十世紀』を
読んでいる。
1900年代から10年ごとのくくりで章を進めていく本。
現在は1940年代半ばを楽しんでいる。
自分の生まれていないその辺りのことを読むのは、ちょっとした
勉強とも言える。
今日読んだところでは、ドイツの暗号機「エニグマ」を解読する
チームに、アラン・チューリングが参加していた話が良かった。
「おぉ〜っ!」という感じである。
一方で、「歴史」と呼ぶにはまだ生々しい80年代や90年代が
どんな風に切り取られるのかも、読み進む楽しみだったりする。
この本は、「私たちはようやく二十世紀を丸ごと眺めわたせる
地点に達している」という一文で始まっている。
まずはそこに、ぐっと来た次第。
ただし、実を言うと、一冊前に同じく海野さんの『スパイの
世界史』を手にしていたのだが、そちらは専門的過ぎて挫折して
しまった。
マタ・ハリゾルゲの名前は知っていても、それだけでは興味が
持続できなかったのである。
いずれ再チャレンジしてみたい。
が、そこにも収穫はあり、「ディプロマシー(外交)」の語源と
絡めたスパイ誕生説は素晴らしかった。
「ディ」は「二つ」、「プロ(プリ)」は「襞(ひだ)」を指す。
ジル・ドゥルーズにそのものズバリ「襞」というバロック論が
あるが、要するに「ディプロマシー」とは「書簡を二つに折って
密書にする」こと。
それが「外交」なのだ、と。
そして、隠されているが故に、その内容を知ろうとするスパイが
生まれるわけで、スパイと外交は表裏一体のものらしい。
何につけ、オリジナルというのは魅力的なのだが、語源という
オリジナリティはまた格別である。