言葉以前

本日は一ツ橋制作部にて送別会。
連続飲みもいよいよ三日目となった。
まるで学生時代のようである。
いや、学生時代は同じメンバーと繰り返し飲んでいたから、
それとはちょっと違うか。
毎日いろいろな人と話ができるのは、実に楽しい。
ただし、本日は送別会だったので、趣旨自体はひとつの別れ
であったのだが。
森山さんの幸せと奈良くんの今後の活躍を祈念したい。
さて、その帰り道。
水道橋駅までの道すがら、アメリカ人の二人連れと一緒に
歩く感じになった。
かすかに聞こえてくる英語の会話。
で、その時ハタと思ったのが「言語はコミュニケーションの
30%位しか受け持っていないのかも知れない」ってこと。
というのも、聞こえてきた内容は
「いやぁ、俺は、女房が何を望んでいるのか分からないよ」
うんぬんって感じだったのが、わたしは彼の奥さんばかりか
彼自身のことを全く知らない。
となると、たとえ会話自体が言語的に分かっても、それが
何を指しているのか、ヴィジョンが全く湧かなかったので
ある。
逆に、彼と彼の奥さんを見たことがあったなら、言葉が
無くても勝手にその関係を想像したと思う。
その違いは、相当に凄いことではないだろうか。
つまり、言語以前の先入観によって、言語は支えられている
のかも知れない、と。
一つ残念なのは、わたしは勉強が不十分なので、そういう
指摘をされている先人がいたとしても、今ここで取り上げる
ことができないこと。
う〜ん、いい線行ってると思うんだけどなぁ〜。