悩みは軽い

昨日の続きを少し。
親鸞は「悪人の方がより往生できる」と説いたが、そこですぐに
生まれるのは「じゃぁ、悪いことをした方が極楽に近づけるのか?」
という疑問である。
が、そうはならない。
「往生したい」という欲は自力だから、そのために何かすることは、
善であれ悪であれ、阿弥陀仏を遠ざけてしまう。
問題は「自力と他力」であって「善と悪」ではない。
親鸞の思想は、『善悪の彼岸』(ニーチェ)なのである。
さて、といったことを常に考えているわけではなく、日々の生活は
らちのない悩みにまみれて過ぎていく。
体重が落ちにくくなったとか、息子が物を片付けないとか、壊れて
しまったスキャナーの代わりをどうしようか、とかとかとか…。
いずれにせよ、親鸞が生きた鎌倉時代の峻烈さやシュルの生まれた
世界大戦後の荒廃に比べれば、われわれが生きている現代日本
あまりにも安寧である。
たいていのことは、風呂に入っている間は忘れていられる。
いや、風呂はいい。
宮崎駿の映画では『カリオストロの城』が一番好きだが、次点は
千と千尋の神隠し』である。まぁ、風呂が出るから好きだという
わけでもないが…。
そう言えば、妹が教員として勤める学校の新聞に
「へそくりは、千と小銭の金隠し」という川柳が載っていて、
これに痛く感心したものである。
駄洒落はいい。
駄洒落は世界を救うかも知れない。
なぜ、駄洒落が世界を救うかは、明日の心だぁ〜(小沢昭一調)