魅かれる理由

吉本隆明の『今に生きる親鸞』を読了。
もっとひねった理屈が展開されているのかと思っていたら、
ずいぶん素直な紹介でちょっと意外だった。
浄土真宗の入門書、と書くと何だか勧誘じみて聞こえるが、
その宗派になじみのない人でも、比較的すんなり読める本では
ないかと思った。
わたしは? と言えば、祖母が相当に敬虔な浄土真宗門徒
だったし、幼少の頃に弟を亡くした関係で、母と一緒に毎夕
お経を唱えて育った。
意味はわからなかったが、「極重悪人唯称仏」なんて言葉に
慣れ親しんだ、おませな小学生だった。
さて、親鸞の思想を最も端的に表している言葉は「悪人正機
ではないかと思う。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という文言。
善人ですら往生できるのだから、悪人であればなおさら往生
できる、という。
普通に考えれば逆のようだが、親鸞は人間の判断する善悪など
大したことはなく、往生するには阿弥陀仏にすがるしかないと
説いた。
それが浄土真宗絶対他力であり、「南無阿弥陀仏」の
「南無」とは「お任せします」の意である。
つまり、「善行をなした」と思い上がっている者ですら
救われるのだから、阿弥陀仏に頼るしかない悪人の方が、
より本来的な信仰に近く、往生できるというわけだ。
さて、ここから昨日の話と少しリンクする。
シュルレアリストたちは、人間の知性の限界に対して偶然や
無意識を対峙させた。
つまり、「計らい」を除こうとしたのである。
その姿勢は、わたしには親鸞を想起させる。
「人間の考えることなど、知れている」という醒めた感覚。
それが両者に共通し、わたしを魅了してやまないものである。