バットマン考

ダークナイト』を観賞。
ズバ抜けて完成度の高い映画である。
企画、脚本、細部のデザインから演出にいたるまで、細やかな神経が
いきとどいており、「ものづくりとはかくあるべし」という感慨すら
覚えた。
友人・仲山くんが昨年(というか、ここ数年)のベスト映画と薦めて
くれたことに感謝しているし、いろんな人の高い評価もうなずけた。
ただ、個人的には、そのあまりの完成度の高さに寂しさを覚えたのも
事実である。
というのも、わたしにとってのバットマンは、もうちょっとカッコ
悪い存在だから…。
そして、そこが魅力なのである。
数多あるアメコミ・ヒーローの中で、わたしはバットマンが一番好き
だが、その理由はバットマンが間違っているから。
たとえば、スーパーマンスパイダーマンは、超能力をああした形で
発露するしかない。つまり、ひとまず自分ができることの範疇で、
ベストを尽くしている。
しかし、バットマンの力の根源は「お金」である。
つまり、他の選択肢があるにもかかわらず、ブルース・ウェイン
それを暴力と恐怖につぎこんでしまう。
しかも、マスクを取れば、目のまわりは黒く塗られたパンダ顔。
そのどうしようもなさが、バットマンを愛おしく思わせるのである。
一連の行動は、言わば「飲まずにはいられない酔っぱらいの失態」
に近く、そこに深い共感を覚える次第(苦笑)
が、本作はあまりにシリアス過ぎて、その辺が笑えないのである。
ジョーカーの高尚さは、バットマンの間違いに釣り合っていない。
ところで、『ダークナイト』はアメリカ自体に重ねられるようだが、
なるほどそうだと思う。
軍需産業をあまりに大きく成長させてしまったが故に、後戻りができ
なくなっている、それによってアイデンティファイせざるを得なく
なっているアメリカの悲劇
昨今の金融危機はあくまでトリガーであり、アメリカの本当の病巣は
第二次世界大戦の一人勝ちで止められなくなった軍需産業である。
それは残念ながら「笑い事」ではないし、対テロ戦争の正当化として
自分たちを「ダークナイト」だと思うとしたら、それは相当に恐い話。
わたし(たち)が好きだったアメリカは、もっと大らかだったのでは
ないだろうか…。