老化礼讃

手紙と違ってメールには確固たる形式というものがない。
なので、人によってはきちんとした文面でつづられる方もいれば、
フランクに書き流す人もいる。
わたしの場合は、どちらかと言えば後者である。
そもそも礼儀をつくすのであれば手紙にすべきであり、メールで
やりとりしようとする段階で、すでにカジュアルだろう、と。
そう思うので、宛名は「くんづけ」「さんづけ」にする。
ただ、これは強い信念というわけでもない。
「だからこそ、せめて宛名などは手紙を模すべきだろう」とも
考えられる。
なので、返信が「様」で返ってくれば、さらなる返信は「様」で
出したりする。
優柔不断? いや、それでいいんじゃないか、と思う。
コミュニケーションの形は当事者同士の間に生まれるものだから、
それぞれに違ってよい。
その原理で進めると、何度かやりとりするうちに、互いの体裁
(場合によっては文体)は、少しづつ似ていくことになる。
最近は、そのことを何だかとてもおもしろいと思うようになった。
主体が溶ける感じというか。
逆に、「おいおい、そこはその返しじゃないだろう…」という
人がたまにいる。
それはメールに限ったことではなく、いや、むしろ実際の会話に
顕著なのだが、「そこはひとまず頭を下げるところだろう」とか
「そこは照れておけよ」とか。
そんなギャップを時折感じるようになった。
それは、いわゆる「うるさい年寄り」に近づいてきているという
ことなのかも知れない。
喜ばしい話である。