バスクリンとわび・さび

今日のお風呂にはバスクリンが入っていた。
普段、わが家ではそうしたものを使うことはなく
試供品でもらった時に入れる程度。
聞いてはいないが、おそらく今日もそうだろう。
かたや実家は、ほぼ「一切」と言ってよいほど、
その手のものを使わない。
水は透明、ごはんは白米、という感じ。
質実剛健というほどの迫力はないが、つまりは
色っぽくないのである。
そう言えば、お盆の灯籠も立てたことがない。
火事の恐れがあるため、今では禁止するお墓も
増えたが、うちは「無駄だから」という理由。
それは先祖代々らしい。
当然、クリスマスに家のまわりで光らせるイルミ
ネーションなどは論外である。
先日帰省した際にも、そんな話になった。
昔は特に何も思わなかったが、今では、そうした
育てられ方をして良かったと思う。
何かが「ない」ということに、気持ち良さを
覚えることができるから。
要するに、わび・さび…か。