「研究」というバトン

雨がシトシト。天気がよろしくない。
よって、次男とやるはずだったキャッチボールは来週へ持ち越し。
図書館への返却日も迫っているため、頑張って『実体への旅』を
読み進めた。夜中までかかって何とか読了。
とはいえ、あまりに博覧強記過ぎて、ちょっと消化不良だった。
高山宏さんの文章でなければ、最初の何ページかで挫折していた
ことだろう。
というか、高山さんでなければ到底訳せない本だったとも思う。
ヨーロッパ18世紀の旅行記は、初めて目にする新世界の光景を
忠実に伝えようと、おのずと視覚偏重になっていった。
ピクチュアレスク(絵のように風景を見る)美学の誕生である。
平行して、言語も透明性を求められ、普遍言語的になった。
全体を要約すればそんな感じだが、そのあたりあとがきでご本人も
触れられているように、まさに高山ワールド。
アメリカと日本の研究者の間でバトンがわたされた感じである。
一方、B5版で400数ページという圧倒的物量の論考がどういう形で
しめくくられるのか(しめくくることができるのか)ドキドキして
いたが、最後はテップフェルとナダールがでてきて、あらためて
「すごい」と思った。
昨今の突っ込んだマンガ評論/研究では、マンガの始祖として
テップフェルまでを射程にいれる。
つまり、現代からさかのぼるヴィジュアル研究が手を出すあたりで
バトンを離す、という。
スタフォード女史がどこまでそれを計算してやったのかは分から
ないが、あらためて「カッコイイ」と思った次第である。