乗り物としての文体

大学1年の時に『目の中の劇場』を手に取って以来、20年あまり。
高山宏さんの文章には本当に楽しませてもらった。
ファンの間では、その文体が持つ魅力は「ドライブ感」と評される。
とにかくテンポがよく(スピードが出て)、頭が切れて(次々に
コーナーを曲がっていき)、目のくらむ体験ができるのだ。
内容も素晴らしいが、とにかくその文体こそが神業。
「悪文」との非難もあるようだが、わたしにとっては最もワクワク
する日本語の使い手と言える。
長い間憧れの的だった。
一方、内田樹さんの文体は、列車型である。
乗っている人を振り落とさないように走る。
目的地がけして近くない場合には、定期的にプラットフォーム
(誰もが無条件で理解できる共通認識)をはさみながら、ちょっと
づつ旅程を消化していく。
これまた容易に真似のできる文体ではない。
ただし、敢えて自分をどちらかのタイプに分類するならば、恐らく
後者だろうと思う。
列車ほどたくさんの人は乗せられないし、内田さんほど遠くにも
行けないから、せいぜいトロッコくらいだろうか。
二人でこぐヤツね。
小さな恋のメロディ』のラストシーンに出てくる。
つまり、相手にもこがせてるじゃん!
確かに、このブログはそんな感じかも知れない。