ポケモンとリーマン

長い間、本当に長い間、わが家ではポケモンがブームだった。
いや、受験ということで表立って触れていないだけで、長男にした
ところで、いまだにその興味を手放したわけではない。
幼稚園の頃から小学6年生まで。それほど根強くひかれている。
映画の歴史も10年を超えているから、巷的にも人気は衰えていない。
ひとつの時代を刻んだと言っていいだろう。
とはいえ、わたしはその内容に若干懐疑的である。
それは、ポケモンを戦わせる主人公たちが、自分で戦わないから。
われわれの時代にも、そうしたシチュエーションは少しだけあった。
ウルトラセブンカプセル怪獣など。
ただ、それらはあくまでヒーローが戦えない間の「しのぎ」であり、
最後に戦うのはやはりヒーロー自身だった。
自分で痛みを引き受けない者に、尊敬が集まるはずもない。
そう考えることが当たり前だった。
が、どうやら時代のリアリティは大きく変わったようである。
ポケモンでは、主人公の役割はもっぱら戦う者をモチベートする
こと。彼らの立ち位置は戦場の真ん中ではない。
その構造の延長線上に、子供たちに株式投資を教える(教えたい)
という風潮が出てくるのかな、とも思う。
さて、「この世にディズニーランドなどというものは存在しない」
という教育をしている友人がいる。
気持ちは分からないでもないが、子供が大きくなってその存在を
知り、親の意に反してドップリはまる可能性だってある。
カリネスクが言うように「今日の世界では、だれもがキッチュから
安全ではない」のだとすれば、目をそむけるだけでは消費の誘惑は
回避できない。
そう思って、わたしは子供たちがポケモンに熱中することを敢えて
曲げはしなかった。
いつか、自分たちなりの答えを出してくれるのではないか、と。
いや、さらに積極的に解釈するならば、時代の波に飲まれてこそ
もがく気力もきたえられるのではないか、と。
もしかしたら、アメリカ経済が投資型銀行の暴走で偽りの繁栄を
見せた10年。ポケモンは、それとパラレルに語られる日が来るの
かも知れない。