開いて見る

タイモン・スクリーチ江戸の身体を開く』読了。
前々から読んでみたいと思っていた本に、ようやく手が出せた。
蘭学が入ってくるまで、日本人は人間の身体に対して刃物をたてた
ことはなかった。
いや、より正確に言えば、殺すために刃物を使うことはあっても
生かすために身体を開くことはなかった。
それが、西洋医学の輸入・導入によって変わっていく。
そのあたりの事情を活写した本である。
杉田玄白『解体新書』の発刊を一つのメルクマールとする。
そして、物理的に身体を開いたこと以上に重要だったのは、視覚への
偏重がそのあたりでハッキリ萌芽したこと。
解剖図をたどって身体の中に分け入る営みと、地図や浮世絵を頼りに
諸国を見てまわる営みはパラレルに発達をした。
断面図というのはもっとも暴力性の高い視覚的愉悦であり、名所巡り
とは「絵のように風景を見る」という、これまた極度に視覚偏重の
活動である。
そうした意識が芽生えたのは、明治維新の時点ではなく、実は江戸
中期から。そんな歴史の見直しもテーマとしてはらんでいる。
身体を開かない漢方に対して、身体を開く蘭学という見取図も分かり
やすかった。
若干残念だったのは、常に本文と同等、あるいはそれ以上の楽しみを
提供してくれる高山宏さんの訳者あとがきがなかったこと。
プロデューサーに徹したということだろうか。
それにしても、タイモン・スクリーチという名前は響きが良い。
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブコンパイ・セグンドに通じる
ものを感じる。
「ン」の入り方がいいのかな?