美術館と宴会

『美術館の政治学』読了。
いや、正確には後半はかなり読み飛ばし気味だった。
日本の様々な美術館について、時系列にそって考察した本である。
で、わたし自身が生まれる以前のことが書かれてある前半、そして
同時代を生きた80年代のセゾン文化あたりまでは気持ち良く読めた。
が、その後ICCの話あたりから一気に失速してしまった。
ただし、それは筆者のせいではなく、もっぱらわたしの問題だと思う。
こと美術館に関する限り、生臭い感じは苦手なのである。
これは何も、アートを崇高なものと見ているからではない。
美術館とは生(あるいは日常生活)から切り離されたモノが並ぶ場所
であり、その生気のないところに魅力を感じるからである。
いつの日記だったか忘れたが、群馬の館林美術館があまりにも霊園の
雰囲気に近いと書いたことがあった。
そうした意味で、当該書籍の中でも格別膝を打ったのはテオドール・
W・アドルノ著『プリズメン─文化批判と社会』からの引用だった。
曰く
「美術館と霊廟を結び付けているのは、その発音上の類似だけではない。
 あのいくつもある美術館というものは、代々の芸術作品の墓所
 ようなものだ。」
この本は未読なので、近いうちに読んでみたいと思う。
いずれにせよ、昨今の美術館は収益装置としての機能が肥大している。
つまり、死ぬことで抜けるはずの「欲」をむしろ溜め込み、勢いよく
燃やしている。そしてそれが「盛況」「成功」と言われる。
まぁ、それはそれで現代的な在り方なのだと思う。
ただ、わたしが好きなのは、霊園での(花見のような)宴会ではなく、
静かなお墓参りなのである。
楽しく騒ぐのならば、墓地ではなく、酒場や居間が良いと思う次第。