「わからない」というカッコ良さ

リーマン・ブラザーズが破綻した。
国際情勢には肌感覚だけでは近づききれないため、誰かの話を頼りにせざるを
得ないが、では誰を信じて良いのか? まずは、その判断に窮することになる。
突きつめれば、それは国際情勢に限ったことではなく、不可知の分野に関わる
場合、われわれは「この人が言うことは信じられそうだ」という人の言うことを
信じていく。
肌感覚を全面的に放棄してしまうわけではなく、肌感覚のとどくところで判断が
できる、話者の「顔」や「話し方」や「論理展開」といった形式をまず信じ、
その延長線上で内容を飲み込むわけだ。
ある種の反復的な認識が、そうとは意識されずに行われる。
細木数子を信じる人は、内容に先んじて、細木数子の在り方(つまりは態度の
強さや断定的な口調)に寄りかかっていると言えるだろう。
ちなみに、わたしはあの横柄な物言いには興味がない。
さて、国際情勢。
わたしが信をおいているのは田中宇さんである。
映像的な情報はないので、その判断はもっぱら文章のみによる。
で、わたしが好きなのは、田中さんがある地点から先を「今ひとつわからない」
と明言されること。
とかく大風呂敷を広げてわかったような話をする人の多い分野で、膨大な情報と
鋭利な論理を駆使されながら、それでもなお「わからない」問題があることを
「わかっている」点にグッとくる次第。
リーマンに代表されるアメリカ型の投資は、さまざまなリスクを「わかっている」
つもりで行われた。その結果の破綻。
金融危機を語れる見識はわたしにはないが、その「わかった気になっている」
あたりを、とてもカッコ悪いと思うのである。