「陽気ぐらし」は酒があれば?

会社の行き帰り。
健康のために30分づつ歩いているわけだが、その途中に天理教の教会がある。
で、朝、その横を通ると不思議と気持ちがほがらかになる。
昨日、一昨日と特にそうだったので、「おや? これは…」と思った次第。
が、そう意識したら、今日はさほどでもなかった。まぁ、気のせいかも知れない。
とはいえ、「気」の問題も大切である。「病は気から」だし「気は持ちよう」。
天理教は「陽気ぐらし」という教えを掲げているが、それはとても良いイメージ
だと思う。その言葉が書かれた垂れ幕を見ることで、気持ちに変化が起きている
可能性だってある。
ただ、わが家は(そしてわたし自身も)比較的敬虔な浄土真宗門徒であり、
今のところ別の宗教に鞍替えするつもりはない。
逆に、だからと言って、他の宗教を否定する必要もないだろう。
というか、否定しようもない。
マテイ・カリネスクが指摘するように、モダン(近代主義)がキリスト教から
しか生まれ得なかったのだとすれば、現代日本人はかなりの程度キリスト教
なのだから。新しいものが好きだったり、退屈すること(= 同じことのくり返し)
が嫌いだったりする感性は、キリスト教によって生み出されたのである。
「古い考えや宗教にしばられてるのって嫌だな」と思う感性は、実はかなりの
程度キリスト教的と言える。というパラドックス
今晩は久しぶりに家で晩酌をしながら入力しているので、ちょっと調子に乗って
しまっている。まぁ、自分的には「陽気」でよろしい。
本当は、その先に「進歩がくり返しを求め、くり返しが逸脱を生み出す」逆説に
ついてつづりたかったのだが、それはまた今度。
それとDIALOGUE-3では、政治や宗教など「パーティー向きではない」とされる
話題にもあらためて取り組んでいこうかな、と思っていたりする。
だってパーティーじゃぁないんだから。