最後の晩餐と参拝

最後の晩餐』である。
この写真はただの画像ではなく、びっくりするくらい
拡大することができる。
もともとのデータは160億画素なのだとか。
アクオス携帯などが1,200万画素をうたっているが、
そのざっと1,300倍の情報量である。
そりゃ、細かいわ。
拡大すると、絵具のひび割れまでハッキリ見えてくる。
何だか、実際に見るよりも凄い感じだ。
いや、この絵は実際に見たこともあるのだが、それほど
近くで見られたわけではないし、全体的な印象はもっと
ボンヤリとしていた。
当該画像の方が、はるかに鮮明かつ詳細である。
ただし、この絵などは外して巡回ができるものではない
から、彼の地に行く意味は依然として残るだろう。
それは「やっぱり実物を見なくちゃね」といった、
実物至上主義(という衣をまとった経済誇示)からでは
なく、その活動が端的にお墓参りだから。
わたし自身は、インターネット参拝も否定していない
のだが、死して動かないものへの礼は、その地を訪れ
頭を下げることだと思う。
そういうスタンスが、文化の大本のような気がする。