合宿と達観

長男がバトミントン部の合宿に出かけた。
よってわが家は現在、夫婦と次男の3人になっている。
何かとはしゃぎ回る長男がいないと、家の中は随分と
落ち着いており、ちょっと別の家のよう。
もちろん、一抹のさびしさはある。
とはいえ、いずれ(早ければ6年後には)そういう
状態が普通になるのだから、家族とはうつろい易い
ものである。
子供の時には途方もなく長く感じられた小学校生活も
親の側からすれば、あっという間だった。
一体、親と子供では、時間に対する何が違うのだろう。
子供は変化を求め、親は変化しないことを求めるから?
あるいは、子供は自分の側の変化が激しく、親には
自分の変化が少ないから?
いや、親も同じ年数だけ変化をしているのだが、
それを認めたくないから?
まぁ、いろいろと思い浮かぶが、同じ長さの時間が
立場によって違って感じられるというのは、けっこう
おもしろいテーマかも知れない。
もはや、自分が生よりも死の側に近い(現在44歳で
88歳まで生きるとはちょっと思えない)なんてことも
関係あるのかも。
幸いなことに、生への執着は年々減ってきている。
それは、良い年の取り方のように思える。