不況下の語彙

広告というものの在り方を考え直さなければならないのでは
ないか、と思い始めている。
諸悪の根源とまではいわずとも、どうもそこに大きな病巣が
あるような気がするから。
畢竟、この不況下で広告出稿の見直しが起きていることは、
実際問題としてはいろいろとつらいことになりつつも、社会
システム全体にとってはむしろ健全なダイエットとも思える
のである。
もちろん広告活動の全てが悪いというわけではなく、自慢の
商品をみんなに知ってもらいたいという気持ちは納得できる。
一方、お客の側にしても、有益な情報は進んで手に入れたい
はずである。
問題は、適切なマッチングがなされていないため、やたら
めったら広告が乱れ撃ちされることにある。
「ビジネスを戦争の比喩で語らない」という平川克美さんの
素晴らしい着眼については別途語るとして、一般的に広告は
“戦略”やら“戦術”の名のもとに放たれていく。
しかも、狙い撃ちと絨毯爆撃の両方で。
つまり、われわれは普通に暮らしているだけのはずが、広告
という戦闘兵器をかいくぐる必要を強いられているのである。
電車に乗れば、社内にはシールやポスターがあふれている。
街に出れば看板が、家に帰ればテレビのCMが、見たくなく
ても目や耳に飛び込んでくる。
流れ弾に当たることは実際にはほとんどないのだが、だから
こそ無意味な戦場になっている気がする次第。
それはそうと、最近のSFは(いや、本当はもっとずっと前
からなのだろうが)戦争一色になってしまった気がする。
未来=戦争ではないはずなのに…。
もっと温和な語彙で、いろいろなことが語られて良いと思う。