そんなところにも…

佐藤可士和が苦手である。
大きくは二つ理由があって「デザインが一向にいいと思えない(割に
世の中で過剰に持ち上げられる)」のと「不機嫌そうな顔」である。
まぁ、そんなこんなは以前にも書いているし、男がくり返しブチブチ
言うことでもない。
また、ミニマル趣味や整理好きなところは近親憎悪だとも思う。
さらに自責的に言えば、嫉妬がないわけでもないだろう。
が、やはりどうにも腑に落ちないところが多過ぎるのである。
たとえば、わたしは『タイタニック』が苦手だが、その映画が巷で
高く評価されていることはあまり気にならない。
「仕方ないなぁ〜」とは思っても、変な胸のつかえはない。
ところで、ここのところ戦後日本のエディトリアル・デザイン史の
ようなものをまとめているのだが、先達の技術や気概に触れると
身が引き締まる。
杉浦康平さんしかり、堀内誠一さんしかり、仲條正義さん等々。
そんな中、ネットで検索をかけていると、妙なところで可士和が
顔を出してくるのである。
いやぁ、全然レベルが違うでしょ… と思うのだが、ネット上でも
あいかわらず人気は高い。
そこで今日は、一念発起して佐藤可士和について調べてみた。
今までは、どちらかと言うと敬遠ばかりして、きちんと向き合った
ことがなかったので。と反省しつつ…。
すると最終的には、わたしが苦手に感じる理由(とおぼしき情報)
にも行き当たった。
それが事実かどうか、定かではない。
その筋では有名な話らしいが、わたしにはそれを確認する術はない。
ただ、書道家武田双雲が、ほぼ同じことをやっているというのを
聞くと、「あぁ〜」となった。
特別に書のたしなみがないわたしが見ても、その字に力がないこと
くらいは感知できる。一方、その割に大きな反響。
一連の現象は可士和の作ったものや、それが起こす反響に感じる
違和感と大変よく似ているのである。
何が解決したわけでもないのだが、とりあえず自分の中では辻褄が
あった次第。
要するに、デザイン業界も芸能界に近づいたってことなのね。